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ウィキペディア・「ケルト系キリスト教」を考える [学問]

ウィキペディアがどれくらい信用ならないか、「ケルト」を検索してみた。すっげー概略的話すぎて、突っ込むことすらできなかった。で、そのリンク先にあった「ケルト教会」。私の専門の時代じゃないか! と意気揚々と飛んでみると・・・。

>中世ケルト教会の特徴

>正統カトリックが世俗社会の教化のために司教制度を重視するのに対し、中世ケルト教会は司教よりも修道院が教化に当ることを選好した。教義面でもイースターの日の数え方が違うなど、カトリックとは若干の差異があった。またケルト教会はケルト石造十字架をシンボルとして用いた。これは円形を刻印された十字架である。

まあ、百歩譲ってそれほど間違っているとは言えなくもないがなー、(いや、アイルランドにだって司教制度はあったし、教化は司教ががんばった、っていうのが最近の通説なのよ、というのは置いておいてだ)

1、修道院が教化にあたった(これも全くなかったわけではないし、かなり「司祭にして修道士」とか、「助祭にして修道士」とか、はたまた「司教にして修道士」とかがいたわけだから、修道院が教化、というのを強調しすぎると危険ではあるが。)
2,イースターの日の数え方が「教義的に」違う(これは教義的な問題なのかどうか、実はイースター問題についてはあまり触れたくなかったので、よく分からないのだが。○○式は何十何年で一周するとか、それに対して○○○式は数百数十年で一周するとか、頭が痛くなる話が多かったので。)
3,「ケルト石造十字架」(これはハイ・クロスのことであろうが。)

なぜ数え挙げたかというと、これらの小さな差異だけで、「カトリックとは違う、ケルト教会」と言ってしまうのは乱暴ではないかと思ったからだ。だいたい、この時代(中世初期)どれぐらい「カトリック」が一枚岩であったか、はなはだ疑問。西ゴートのスペイン、メロヴィングのフランク、その後の西ローマ帝国、北イタリアのロンバルド地域、トスカーナの諸都市、イスラム影響下のシチリア、布教が進みつつあるサクソン、それぞれそれなりの地域差があったと考える方が普通じゃないのか? その地域差をとって「西ゴート系キリスト教会」とか言ったりしないじゃないか、と。
だいたい司教が中心となって布教、と言っても、それはかつてのローマ都市とその近辺だけじゃないの? (これは古い時代のことを考えすぎか?)

それで考える。なぜ「ケルト教会」というものだけが名前をわざわざ挙げられるのか、と。やっぱり19世紀の「アイルランド独立運動」=「イングランドとは違う我らが民族『ケルト』!」という、政治の影響を受けたのかと考えられる。そろそろそういう「中世ケルトアイルランド」を脱却すべきだと思うのだが。布教すべきか、「ケルト」愛好家は学問をやっているわけではないから、温かく見守るべきか。

結論:「ケルト」関連で言えば、ウィキペディアは激しく間違っているとは言えなくもないが、研究者の卵の卵にとっては現状では満足できない。ま、元々これを論文の史料に使うつもりは端からないので(というか使えないだろう、普通)、こんなもんか。


政治に影響される歴史 [学問]

気になった本。

黒いアテナ―古典文明のアフロ・アジア的ルーツ (2〔上〕)

黒いアテナ―古典文明のアフロ・アジア的ルーツ (2〔上〕)

  • 作者: 金井 和子, マーティン・バナール
  • 出版社/メーカー: 藤原書店
  • 発売日: 2004/06
  • メディア: 単行本

黒いアテナ―古典文明のアフロ・アジア的ルーツ〈2〉考古学と文書にみる証拠〈下巻〉

黒いアテナ―古典文明のアフロ・アジア的ルーツ〈2〉考古学と文書にみる証拠〈下巻〉

  • 作者: マーティン バナール
  • 出版社/メーカー: 藤原書店
  • 発売日: 2005/11
  • メディア: 単行本


ヨーロッパ人の持つ、自分たちのルーツ、つまり「ギリシャ・ローマ以来の」という「歴史的アイデンティティ」を覆す内容、とある書評。

書評は以下より。
http://book.asahi.com/review/TKY200601310318.html

この書評に依れば、あのすばらしいギリシャ古典文化を担ったのは白人(アーリア人)でなければならない、そうに決まっている、という18世紀末以来の政治的イデオロギーの下での研究の結果に他ならない、それを批判的に再検討した全4巻本のうちの2巻目。

「中世初期アイルランドの特殊性」を強調した研究も、政治的イデオロギーの影響に依った過去の研究形態であった。このように歴史はいつでも政治的イデオロギーの影響を受け、少しずつ進んでいく。

この本の、言い方は悪いが「かなり思いきったカミングアウト」の姿勢を見ると、「歴史的事実」という実際は幻想に過ぎないものの有無、そしてそれの見方(自虐的か愛国的か)の善し悪しを云々しているに過ぎない教科書問題は、子供の戯言に見える。

だからといって、軽く無視していい問題では全くないのだが。

といっても、書評だけから得た印象なので、中味が実際どんなものだかは、読んでみないと分からないけどね。


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アイルランド古法に役立つ本 [学問]

アイルランド初期中世史をやっていると逃げられない、
古法(Early Irish Law)。
この訳し方は、
初期中世史研究者で(ホントはまだ卵)、
まさに古法を中心に研究を進められている某友人からパクリました。

A Guide to Early Irish Law (Early Irish Law S.)

A Guide to Early Irish Law (Early Irish Law S.)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: Dublin Institute for Advanced Studies
  • 発売日: 1988/12
  • メディア: ハードカバー

一般書、ではないけれど、
身分についてや、
その身分でも、王、領主(また問題のある訳語だ)から女性、奴隷など、
また土地、動産などの財産関係、
犯罪から契約、保証物、証拠に関して、罰など、
およそ古法で扱われている事柄全般にわたって、
それぞれ細かく章立てされて説明されている。
全部通して読む、というよりも、
必要なところだけいつでもひいて、
頭の整理しながら研究できる、頼れる友達的な本。

昨年出たばかりの本を、と思ったら、アマゾンで出てこない。

Breatnach, Liam. A Companion to the Corpus Iuris Hibernici, Dublin Institute for Advanced Studies, 2005.
ISBN 1 85500 184 5

こちらの方が「友達的」な名前だが。
Corpus Iuris Hiberniciというのは、1978年にBinchyという研究者が出した大作で、
おおよそほぼすべてのアイルランド古法が原典そのままの形(diplomatic edition)で刊行された6巻本。
それらの法律に関して、
これまでの研究や特徴、何が書かれているかなど、
説明を付したのがこの本(と言っていいのか)。
これも通して読むようなほんではないので、ちゃんと読んでいないんだけど。
でもこの先、非常にお世話になるだろうと思われる本なので、
躊躇無く購入した。

問題は、CIH自身が、刊行されているので写本を見なくてもいいけれど、
刊行されているだけに過ぎない、というところか。
つまり、古アイルランド語(と中世アイルランド語)で書かれていて、
英語どころかノートもないところ。
そしてCompanionも、古アイルランド語がずらずらと示してあるが、
訳は付けておらず、古アイルランド語の知識がないとかなり厳しい、
というところ。

やっぱり現状は厳しい、という確認作業で終了してしまった・・・。


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修道士か教会領地民か [学問]

おそらく「教会領地民」という訳ではいろいろと問題が生じるであろうが、(さらに先達の訳語を無視している、という意味でも)なんとか日本語にせよ、と言われたら、今現在の自分の能力ではこれが限界。

中世史のテクニカルタームで、特にアイルランドに関する限り、ほとんどすべてのタームに定訳がない。これに関して、日本語訳とは、日本語訳を付けるべきか、あるいはカタカナのまま残して注を付けるか、そのあたりを考えざるを得ない状況になり、とりあえず日本語に訳してみる、ということをしてみた。

このブログで書かなければ、現在の状況(アイルランドに留学中)では日本語に訳す必要性はほとんどない。でも時々は少し考えておかないと、留学終了して帰国した時大変なことになると思う。

で、表題についてだが、古アイルランドでmanach(複数形 manaig)という単語がある。元はラテン語のmonachusから派生しているので、普通に考えれば修道士、英語で言うところのmonkになるわけだが、法律文書内に現れたmanachは、通常「church/monastery tenant/client」になる。

この時期(中世初期、6世紀ぐらいから12世紀ぐらいまで)のアイルランドの、組織としてのキリスト教会は、「教会」としても「修道院」としても表せない、もどかしさがまず英語の定訳にも表れている。さらに、tenantかclientというのも、実は日本語にし難い上に、どちらの語も使われている。現在では後者が主に使われているが。

tenant/clientというのは、「封」を「領主」から借りて、1年ごとにその上がりからいくらかを貢納する人たちのことをいうのだが、まず「封」が土地ではない。なので「領主」という言い方も適切ではない。借りるものは一部の例外を除いて家畜である。貢納するものは、それ故に「牛乳」とか、「チーズ」とか、「2歳の雄牛」とかそういうもの(さらに穀物やモルト(笑)も納めたりする)。

で、manachというのはそういう関係(正しくは「契約」、しかしそうじゃないという説を採っている人もいる・・・)を教会と結んだ人のことで、結婚してるし、子供もいるし、修道士ではないのだが、じゃあ法律文書ではなく、教会法や贖罪規定書に書かれていた場合(ラテン語なので間違いなくmonachusと書かれているだろうが)、どっちなのか、というのが問題になる。

以上のような問題をはらんでいるので、表題のような問題にぶち当たることもあるし、さらに「教会領地民」という訳語がいろいろ問題を孕んでいることもお分かりいただけよう。

一次史料の訳し方、使い方は、非常に難しいね。

http://d.hatena.ne.jp/chorolyn/20060202/1138814399

ここを見て、いろんな意味で考えさせられたし、違う意味でへこまされました。ありがとう、chorolyn氏。


進行状況 [学問]

さて。
とりあえず7、8、9世紀あたりの教会、
司牧活動とその区域、
司教と修道院長と「教会の長」関係の二次資料を読んだ。
で、これで「教会と教会領地に住むmanaigという特殊な人たち」の関係について、
自分の立場を表明するペーパーを書かなければ。

これでひとまず、修論にやっと取りかかれ始めた、っつーことか。
でも、manaigについては、本論の基礎の基礎だからなぁ。
しかも最終的にこの人達をなんで取り上げるのか、
その理由ありきだから、かなり歪んでしまう危険もある。
うーん。

本論の必要な基本文献のデカイのはまだ読んでないし、
ある程度必要になるであろう考古学の資料も手つかずだし、
一次史料には触れてもいないし、
遅々として進まない。しかも外国語で書く、っていう最大の障害が。

そして「本論、本論」と叫んでは見るものの、
その構成とかまったく思いつかないし。
どう並べて、どう説明して、という道筋が全然立ってない。
言いたいことはあるけれど、最終的にそれが覆されるかもしれないし。
どこまでデカクでるか、という問題もある。

来年はどうなっていることやら。
これを笑って読めるようになってることを祈る。
2年は長いようで、修論書くには一杯一杯の時間であることは身にしみてるから。


フランスでの「教科書問題」 [学問]

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20051222k0000m030127000c.html

日本が悪い例として取り上げられていて、それは当然なのだけれど、やっぱり悲しい。歴史認識と政治、というのは根深くて、難しい問題なんだな、と痛感。こういうことに敏感に、そして感情的ではなく、それでいて当事者の気持ちを「想像」すること、これが歴史を学ぶ意義だと思う。今の、年号や出来事を網羅的に覚える歴史は、歴史教育としては最悪。大学受験生を見ていると、良く覚えている生徒は出来事を年代的に、どのように発生してどのような結果になったか、ある国だけではなく、横との関連(つまり他国の状況を背景と考えて)もすらすらと言えるのだけれど、それで歴史認識ができるかというとその様子ではない。RPGでの謎解きと、小ボス→中ボス→ラスボス、という流れを追っているようにしか見えない。

この歳でまだ学生、しかも就職にも非常に不利な歴史、さらにその中でも特に不利な西洋史の、さらに中世史をやってる人間として、やや「口実」ともとれてしまうけれど、やはり歴史を学ぶことは非常に重要だと思う。

以下、上記の記事の転載。

フランスで北アフリカなどの植民地支配の評価を巡る歴史認識の問題が論議を呼んでいる。移民系若者による今秋の暴動を受け、過去の植民地政策を肯定的に評価した法律に歴史家、野党などから批判が集中、「政治が歴史をどう扱うべきか」の議論に発展している。日本の教科書問題にも共通する課題が指摘されている。【パリ福井聡】

 問題の発端はシラク大統領の支持母体である保守与党「国民運動連合」(UMP)議員が提出、今年2月に成立した帰還者支援法。同法第4条はフランスの植民地支配について「学校の教育課程は海外、特に北アフリカでフランスの存在が果たした肯定的な役割を認める」と記している。

 法案を提出したUMPのクリスチャン・バネスト議員は「1962年のアルジェリア独立時に帰還した同国生まれのフランス人と、フランス側に立って戦ったアルジェリア人を念頭に提案した」と説明している。しかし、今年10〜11月の暴動を機に移民系住民から批判が上がり、野党の社会党、共産党も批判を開始、条項撤回を要求した。

 アルジェリアのブーテフリカ大統領は「フランスには(アルジェリアを植民支配した)1830〜1962年の間に拷問、殺害、破壊したことを認める以外の選択はない。(法律は)わが国のアイデンティティーを無にしようとした」と反発した。今月初めにはカリブ海の仏海外県マルティニクとグアドループの住民が抗議デモを繰り広げ、外遊を予定していたサルコジ内相(UMP党首)が直前になって取りやめに追い込まれた。

 歴史学者のピエール・ビダルナケ氏は「日本では第二次大戦中の中国での旧日本軍の責任を教科書がわい小化しているケースがある。法律で植民地支配を積極的に評価すればフランスも日本と同じような形となる」と日本の教科書問題を引き合いに出して、法制化を批判した。

 これに対しシラク大統領は今月9日、事態の沈静化を目指し「フランスには『官製の歴史』はない。歴史を解釈するのは議会の仕事ではなく歴史家のものだ」と演説した。しかし、同法が与党内から提案された経緯からドビルパン首相は即断せず、議会諮問委員会が3カ月後に出す調査結果を待って対応を決める構えだ。

 しかし、「『官製の歴史』はない」との政府認識がさらに物議を醸し、仏議会がこれまで成立させた(1)ナチスによるホロコーストの史実を否定する言動を禁じる法律(90年)(2)トルコで起きたアルメニア人殺害を民族虐殺と非難する法律(01年)(3)奴隷貿易を人類に対する犯罪と位置付けた法律(同) −−について、歴史家から疑問が投げかけられている。

 歴史家のフランソワ・シャンダナゴー氏は「(1)は良い法律だが、インターネット上への匿名の書き込みは規制できない。(2)は他国の歴史に関するもので極めて政治的だ。(3)の奴隷貿易は『15世紀以降、欧米大陸間で』との条件付きであり、政治的な内容だ」と指摘する。

 植民地支配の歴史は支配者と被支配者の側で認識が180度異なる。フランスにおける歴史認識論議の高まりは、移民系若者の暴動をきっかけに被支配側の視点に目を向けざるを得なくなったフランスの事情を反映している。

 ◇フランスの教科書問題

 アルジェリア植民支配について旧宗主国フランスの歴史教科書の記述は先入観が強いわけではない。マ二ヤ社の高校教科書は「植民地支配により伝統社会の破壊が進み、人種的偏見の概念ももたらされた」と表記、仏政府軍が囚人を繰り返し拷問していた証拠も記載している。

 高校で歴史を教えるアラン・ジャべロ教諭は「フランス側に厳しい見方を教えることを避けてはいない。だが、アルジェリア戦争は仏社会で非常に大きな比重を占めている。戦争にかかわった人がなお多く生存しており、すべてを率直に教えるというわけにもいかない」と植民地支配の扱いの難しさを語る。

 元歴史教諭のローラン・ビクト氏も「私や他の教師は80年代に教壇でアルジェリア戦争を教え、拷問にも、双方の暴力にも触れた。しかし、教育課程は教師の裁量に任され、教えるのが困難と判断すれば省くこともできる」と指摘している。【パリ福井聡】

毎日新聞 2005年12月21日 20時52分


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新刊 [学問]

こちらをすっかりさぼってしまっていた。

新刊情報。今年の12月に出版予定、というのは知っていたが、本当に12月に出版されるとは思っていなかった。アイルランドなのに結構まじめじゃないですかー。

The Kingship And Landscape of Tara

The Kingship And Landscape of Tara

  • 作者: Edel Bhreathnach
  • 出版社/メーカー: Four Courts Pr Ltd
  • 発売日: 2005/12
  • メディア: ハードカバー

詳細はこちら
http://www.four-courts-press.ie/cgi/bookshow.cgi?file=kingshipTara.xml

2部構成で、1は王権について。アルギアラ王権関係のものが多い。2は景観というか地形というか。タイトルそのまま。読んでないので何とも言えないが、タラで1冊、っていうのは初の気がする。王権なんて、今、ねらい目なんじゃないのー、と思ったりもするが、所詮アイルランドの、しかも初期中世だからなぁ。

それにしても重い本。買って持って帰ってくるのが大変だった。さていつ読めるようになるのやら。しかしなぜカバーが2枚着いているのだろうか。壁に貼れとでも?

これで少しでもタラの丘保全運動が活気づけば・・・、って、計画は計画として、道路建設は進んじゃうんだろうな。


「ケルト」とは? [学問]

アイルランド、なので「ケルト」の話は書くべきかな。

ここでの話はあくまでアカデミックにおける「ケルト」であり、もっと細かく言えば歴史学、さらにあまり情勢を知らない人間である私であるから、もっと細かく分類すべきであるならば、アイルランド中世史における「ケルト」の話となる。

ここまで「ケルト」という言葉にはすべてカッコをつけてきたが、これが中世史におけるこの言葉の扱いを示している。つまり、この言葉には微妙な意味合いが含まれており、一般名詞としては扱えない、ということである。端的に結論を言ってしまえば、「ケルト」という言葉が学問として成り立つのは、言語学に於いてだけである。ケルト語派、つまりスコットランド語・アイルランド語とウェールズ語・ブルトン語の二派に分けられる、インド・ヨーロッパ語族のうちの一つのカテゴリー、としてである。(言語学を学んでいるわけではないので、細かい単語の使い方が間違っている可能性があります。ごめんなさい)

もう一つ、この「ケルト」が学問上使われる場合がある。それはいわゆる「ケルティック・リバイバル」に関する問題である。この辺も実はかなり不勉強でよく分かっていないのだが、近代、アイルランドの独立運動が高まるにつれて、アイルランド土着の文化、言語を守っていこう、という、ある種のナショナリズム運動が盛り上がった。この動きを扱う場合である。アイルランド語の普及に取り組むゲーリック・リーグが創設されたのも、この運動の一部である。

ケルティック・リバイバルについてはこれを参照。

ケルト復興

ケルト復興

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 中央大学出版部
  • 発売日: 2001/04
  • メディア: 単行本




今、いわゆるちまたで言われている「ケルト」的なものは、ほとんどすべてこの時に再創造されたものである。つまり、少なくとも中世初期に於いては、「ケルト」的なものは、無かったと言える。それは、近代における「想像」の産物なのだから。

アイルランド人は「ケルト」人か、これもケルティック・リバイバル以降の概念と言えよう。少なくとも中世に使われていた古い形のアイルランド語には、「ケルト人」という語はない。彼らは自分たちのことを「アイルランドの民=アイルランド人」と呼んでいたのであって、「ケルト人」と呼称したことはないのである。「ケルト人」という言葉を使ったのは、古代ギリシャ人であり、彼らにとってのバルバロイの一種族を表したに過ぎない。

それ故に、歴史学では軽々しく「ケルト」という言葉は使わないし、敢えて使う必要があればカッコ付きにするか、言語学の言葉としてのみ使う。中世初期に関しては、すべて「アイルランド」という言葉を使用する。研究対象の時代の人間自身が、自らのことを「アイルランド人」と呼んでいるのであれば、それは現在の「アイルランド共和国」と同じ地域を完全に表しているのではないが、それでも彼らが使用せず、おそらくは認識すらしていなかった「ケルト」という言葉を使った時点で、それは学問としての歴史学ではなくなり、トンデモ歴史学になってしまうのである。

トンデモなんだが、日本でもアイルランドでも何年も平積みされている、すごい本。読み終わった瞬間投げ捨ててしまったが・・・。

聖者と学僧の島―文明の灯を守ったアイルランド

聖者と学僧の島―文明の灯を守ったアイルランド

  • 作者: トマス カヒル
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 1997/04
  • メディア: 単行本




現在「ケルト」という言葉にはいろいろな意味が付与されており、またそれがそれぞれの人によって千差万別である、ということである。それでも何となく理解できるものもある。「ケルト音楽」と言われるとなんとなーく、エンヤとかダニーボーイとかが浮かぶ。でも「ケルト模様」という言葉の意味は分からないし、「ケルトの自然観」とか、なんだかよく分からない。これは、アカデミックの場合ではないので、まったくかまわないのだが。ともかくかなり曖昧模糊とした言葉であることは確かだ。

ただ問題は、イングランド中心史観に毒され、今でもそこから抜け出せないでいる歴史学に於いて、イングランド以外のブリテン島嶼部を言い表す「ケルティック・フリンジ」(スコットランド、ウェールズ、アイルランド、ブルターニュ)に変わる表現がない、ということである。「ケルト語を話すイングランド周辺地域・国」だと、あまりにも説明的すぎる。というか、「イングランド周辺地域」と言っている時点で、イングランド中心史観ではないか!

いつの日か、「ブリテン島嶼部学会」というのが出来るといいな、という夢で以て、終了。


Fry, Susan Leigh. 『Burial in medieval Ireland, 900-1500』 [学問]

私がこれからやりたいと思ってることに結構ぴったりの本が(うれしさと残念さ)! と思って借りたが、元々博論だけあって結構荒削りな論文。副題が『A review of the written sources』で、著者自身が紙数と時間に限りがあり、とりあえず文字史料から分かることをおおざっぱに纏めることを目的とした、ということだけあった。

一応自分の研究範囲は7〜9世紀頃なので、このあたりの史料を使ってあるところだけを流し読みした。書評で、タイトルと違って結構初期の史料も使われている、ということなので読んでみたのだ。しかし、それほど得るものはなかったが、とりあえず参考文献を作るためには非常に役立った。

おかしなところは、一次史料のほとんどが英訳のあるものばかり。「ラテン語の聖人伝の編者・・・」とわざわざ書いて、そのイントロダクションのみを使ったり(これはイントロ以外はラテン語のみ)、古アイルランド語の法史料を引用しているが、脚注を見ると明らかに孫引き。せめて、孫でもいいから刊行されてる史料なんだから、どのあたりを使っているかぐらい示唆が欲しかった。孫引きの元の本を見ても、どこからもってきたか書いてないし(泣)。これは今ちょうど友人達と翻訳を作っているものなので、非常に知りたかった。ともかく今まで読んできた部分には出てきてない、ってことしか分からず。

Etchinghamとは大違い。アイルランドの古法も、訳にいろいろな問題がある100年ぐらい前に出た6巻本だけしか使っていないし。

でもよく考えると、この著者の主要な研究年代は、おそらく中世中期から後期なんだろうと思うと、そこまで史料について突っ込んでもしょうがないのかもしれない。でもせっかくTrinity卒なんだからなぁ。

一次史料の扱い方は、非常に注意しなければいけないということを、改めて教えてくれた「反面教師」的本。

Burial in Medieval Ireland: A Review of the Written Sources

Burial in Medieval Ireland: A Review of the Written Sources

  • 作者: Susan Leigh Fry, Susan Fry
  • 出版社/メーカー: Four Courts Pr Ltd
  • 発売日: 1999/10
  • メディア: ハードカバー


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気になる本 [学問]

『中世の俗人像』

Images of the Medieval Peasant (Figurae: Reading Medieval Culture (Paperback))

Images of the Medieval Peasant (Figurae: Reading Medieval Culture (Paperback))

  • 作者: Paul Freedman
  • 出版社/メーカー: Stanford Univ Pr
  • 発売日: 1999/04/29
  • メディア: ペーパーバック


書評を読む限りでは、中心は中世後期。「俗人」研究だから、しょうがないといえばしょうがないが、著者の意識としては、後期のイメージの源泉は初期、ということで、多少は関わりがありそう。

自分の研究とはかなり関係がないけど、ちょっと読んでみてもいいかなぁ、とは思うが、なぜかアイルランドの本屋さんの歴史コーナーって、すっごく充実してないんだよなぁ。アイルランドの歴史、という棚は大量にあるのに。


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