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ウィキペディア・「ケルト系キリスト教」を考える [学問]

ウィキペディアがどれくらい信用ならないか、「ケルト」を検索してみた。すっげー概略的話すぎて、突っ込むことすらできなかった。で、そのリンク先にあった「ケルト教会」。私の専門の時代じゃないか! と意気揚々と飛んでみると・・・。

>中世ケルト教会の特徴

>正統カトリックが世俗社会の教化のために司教制度を重視するのに対し、中世ケルト教会は司教よりも修道院が教化に当ることを選好した。教義面でもイースターの日の数え方が違うなど、カトリックとは若干の差異があった。またケルト教会はケルト石造十字架をシンボルとして用いた。これは円形を刻印された十字架である。

まあ、百歩譲ってそれほど間違っているとは言えなくもないがなー、(いや、アイルランドにだって司教制度はあったし、教化は司教ががんばった、っていうのが最近の通説なのよ、というのは置いておいてだ)

1、修道院が教化にあたった(これも全くなかったわけではないし、かなり「司祭にして修道士」とか、「助祭にして修道士」とか、はたまた「司教にして修道士」とかがいたわけだから、修道院が教化、というのを強調しすぎると危険ではあるが。)
2,イースターの日の数え方が「教義的に」違う(これは教義的な問題なのかどうか、実はイースター問題についてはあまり触れたくなかったので、よく分からないのだが。○○式は何十何年で一周するとか、それに対して○○○式は数百数十年で一周するとか、頭が痛くなる話が多かったので。)
3,「ケルト石造十字架」(これはハイ・クロスのことであろうが。)

なぜ数え挙げたかというと、これらの小さな差異だけで、「カトリックとは違う、ケルト教会」と言ってしまうのは乱暴ではないかと思ったからだ。だいたい、この時代(中世初期)どれぐらい「カトリック」が一枚岩であったか、はなはだ疑問。西ゴートのスペイン、メロヴィングのフランク、その後の西ローマ帝国、北イタリアのロンバルド地域、トスカーナの諸都市、イスラム影響下のシチリア、布教が進みつつあるサクソン、それぞれそれなりの地域差があったと考える方が普通じゃないのか? その地域差をとって「西ゴート系キリスト教会」とか言ったりしないじゃないか、と。
だいたい司教が中心となって布教、と言っても、それはかつてのローマ都市とその近辺だけじゃないの? (これは古い時代のことを考えすぎか?)

それで考える。なぜ「ケルト教会」というものだけが名前をわざわざ挙げられるのか、と。やっぱり19世紀の「アイルランド独立運動」=「イングランドとは違う我らが民族『ケルト』!」という、政治の影響を受けたのかと考えられる。そろそろそういう「中世ケルトアイルランド」を脱却すべきだと思うのだが。布教すべきか、「ケルト」愛好家は学問をやっているわけではないから、温かく見守るべきか。

結論:「ケルト」関連で言えば、ウィキペディアは激しく間違っているとは言えなくもないが、研究者の卵の卵にとっては現状では満足できない。ま、元々これを論文の史料に使うつもりは端からないので(というか使えないだろう、普通)、こんなもんか。


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yoku

kimuko様
確かに、中世初期のアイルランドというと、修道院が
強調されるキライがありますね。といっても、小生は
アイルランドの修道院については、無知であるため
勝手な、判断はゆるされませんが。
ただし、手元のあるフィルップ・ヴォルフというひとの
著書・ヨーロッパの知的覚醒・渡辺昌美訳・白水社
に6世紀以降のアイルランドにおける宗教的かつ
知的生活の興隆は、およそ歴史的な説明を超える
事件の一つである。聖パトリックによって伝えられた
キリスト教はこの地に花を開き、純農業社会であり
ながら厳格な禁欲生活を情熱的に実践するいくつか
の修道院云々、、、。とあります。中世初期のアイル
ランドには、興味を駆り立てる、何かがあります。
学問においても、世界をリードしていた
ということでもありますし。
by yoku (2006-02-19 09:16) 

NO NAME

kimko様
追伸 どうしてguestで送信されたのか分かりません。
悪しからず。
by NO NAME (2006-02-19 09:19) 

kimuko

よく言われるのは、「ゲルマン民族移動後の混乱時、ローマ帝国のシステムも弱化していた西洋で、キリスト教の文化、伝統を唯一維持したアイルランド」というものですが(ちょっと劇的に書き過ぎかもしれませんが)、これも一昔前のイメージのような気がします。禁欲的、というのも、聖人伝に書かれてあることをそのままとりすぎかな、と思っています。なんだか、いろんなイメージに彩られた感じですね。逆に言えば、なぜそういうイメージ先行型になっているのか、ということが不思議です。
ところで、「純農業社会であり」、これは、かなり間違ったイメージであることだけ、ここで述べておきます。

ソネットブログの調子が異常に悪いのが原因でしょうね、>guestで送信。この状態がこのまま続くのであれば、違うところに移行しようかと思っているところです。
by kimuko (2006-02-19 23:57) 

Tkawa

「全米が泣いた」とだけ添えておきましょう(笑)
しかしウィキは誰が執筆したんでしょうかね。

暇があれば、きむこ氏プロデュースによる中世アイルランド入門と題して、日本語で読める基本文献の紹介をやってみるとか。

「ケルト幻想」の誤解がいっこうになくならなくって、一々突っ込みいれるのも面倒でしょうからね。
by Tkawa (2006-02-20 09:38) 

kimuko

全米が泣いた・・・・?

ウィキは多くの人が書けるみたいだから、まあ、いいんですけどね。これを参考にサイトを作られたらちょっと痛いんですけどね。

>日本語で読める基本文献の紹介

3冊ぐらいで終わってしまいます。しかも雑誌論文だったりする。某T博士(女史)の雑誌論文が一番良いとも思いますが、ちょっと武闘派だからな、彼女。

>「ケルト幻想」の誤解

あ、でもこれも研究者じゃなければ、まあいいか、と。それよりまず文学研究者を矯正する方が重要。幻想にどっぷり浸りつつ、「アイルランドの歴史」系の本を平気で書いちゃう人たちもいるから。
by kimuko (2006-02-20 20:44) 

Tkawa

武闘派のT氏はいいですよね。「ケルト幻想」誤解研究者を駆逐するには(笑)。
ただ、結局「ケルト幻想」がいっこうに抜けられないというのも、ケルトで夢見たい買い手がいるから再生産されるわけで、やっぱり読み手も書き手もなんとかしないとまずいとは思いますよ。どうせやるなら。

別にそれが幻想だとわかっててあえて幻想に乗るのはいいけど、ガチで幻想に浸るのはやっぱりねぇ、と外野から見てもちと残念な気がしなくもないかと。
by Tkawa (2006-02-21 06:17) 

kimuko

>ガチで幻想に浸るのは

そうなんだけどね、まずは文学研究者かな、と思います。私自身も若かりしころはかなり幻想に浸っていたので、その状況も楽しいことは分かってるんですがね。ただ、問題なのはこれに浸って、これを大学で勉強するんだ! という人が現れた場合なんですよね。学部の場合だったらそれで良いのだけれど、その先まで行こうとしたら、結局途中で挫折すると思うし、かなり研究会とかで叩かれると思う。そこから立ち直れればいいけれど、立ち直れない場合もあるらしい、ということをドイツ史のK氏から聞いたことがあるので。

難しいっす。本当に。自分に論理的回路が不足しているので、さらに厳しいっす。
by kimuko (2006-02-21 06:24) 

イソップ

初めまして。コメントさせていただきます、ブログ初心者のイソップです。
私も歴史が好きで、この春から大学で西洋史学を学ぶことになりました。ドイツの中世史を学ぼうと思っていますが、ケルト人の歴史にも興味があります。また来ますのでよろしくお願いします。
by イソップ (2006-02-25 23:59) 

kimuko

はじめまして。ドイツの中世史ですか。ドイツの中世史だと普通は法制史を思い浮かべてしまうのですが、何をなさりたいのでしょうか。この春に大学生になられる、ということなら、まだ分からないのかもしれませんね。
また来てくださるとのことですが、こちらのブログから違うところに引っ越しましたので、そちらに来てくださるとありがたいです。
がんばってください。
by kimuko (2006-02-26 00:58) 

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