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中世史研究を繋ぐ架け橋・Medieval Studies in Japan (MSIJ) [学問]

曰く、数多くの中世史の研究分野があり、それぞれが研究会や学会を開催し、雑誌を刊行しているが、学際的な学会、「中世学会」なるものは現在の日本に於いては無いために、中世学者の交流が制限されている、と。それを憂えた有志がまずは情報交換のため、として開設したサイト。

http://medievalstudiesinjapan.jot.com/WikiHome

有志はヨーロッパ中世史研究者ではあるが、敢えてそのサイト名に「ヨーロッパ」という冠をつけなかったのは、ひいては日本や東洋の中世史をも包括したいとする意思の表れで、これは真に賛同すべき高い意識だ。

というわけで、ただいまは海外にいる身とはいえ、活用させていただきたいと思いまして。情報収集が非常に苦手な人間としては、こんなに便利な場はありません。ありがとうございました、関係者一同さま。


研究国への留学 [学問]

やっぱり地元に留学するのはよいことだ。例え友達がいなかろうと、語学に問題があろうと、外国語で論文書いたりしないといけなかろうと、今週末の3連休にすることが勉強以外なかろうと。

ということで、今日はこの先非常に参考にさせてもらうであろう論文の作者であるO博士にお会いすることができた。指導教官がわざわざ紹介してくださったのだ。で、特に何を研究するつもりなのか聞かれて、するっと「聖なる場所としての墓地」とか言ってしまった。言い過ぎだ。でもそのおかげで非常にためになるであろう論文を教えてもらい、まだ出版されていない論文をあとで送ってくださると言うことだ。これで、私の行き先が決まった、ようなものだな。

基本的に直感で研究している正しくない学生なので、何かが降りてくるのを待ってるタイプなんだけど(別に電波は飛ばさないよ)、とんとん拍子に話が進んでいるので、もうこれはこのままで行くしかないと。これで論文かけるかどうかは別としてね。

ご一緒にお酒をいただいたのでかなりテンション高い状態でこれを書いているので、なんだか分からなくなってきたぞ。

そういえば、今回初めて虹を見た。アイルランドはこのような天気のためによく虹が出るのだが、今回は2ヶ月経ってやっと見れたな。まあ、出不精なのが原因かもしれないけど。前にカレンが虹とモーゼの話をしていたような気がするが、忘れてしまった。

虹が二本。始めて見た二本の虹は、10年ぐらい前のアイルランドであった。歳とったなぁ。


これからの方向性 [学問]

「世俗社会制度への教会組織受容に対する教会側自身の働きかけから、教会と俗人の関係」(相変わらずのタイトル付け下手)を研究したいんです、みたいな感じで受け入れてもらってなんちゃって留学して早1ヶ月。日本の大学の指導教官(!)の軽い質問から激しく刺激を受けて、「俗人」→「市井の俗人」へと変化し、しかもなにやら本格的に「死者」とか「墓地」とか「死の儀礼」とか、そっちに移行しつつある私。うへー。基本的事項が抜け落ちている私が、そんな方向に走っていいのか? 2年で論文書き終わるのか? 気が付いたら考古学やってました、ってことにならないのか? と悩みを抱えつつ、とりあえず今週と来週は、先週まで考えていた教会による「司牧活動」に関する論文を読んで過ごす。たぶんこれだってあとで使えるだろう、という甘い考えで。

まあ、どっちにしろ8世紀だろうが9世紀だろうが10世紀だろうが、俗人全員がある程度教義を理解したキリスト教徒のわけないんだから、教会側による俗人の働きかけはとっても重要だろう、ということにして。それに結婚と死っていうのは人間生活の上で避けて通れないでしょう(私にとって前者はとっても遠い存在だが)。

それにしても一次史料が読み進めない。こっちの方もやばい。ああ、すでに焦燥感一杯なのにブログとか書いてる場合か? しかもデジカメを手に入れたのでそれにも時間を費やしちゃったりしてるし。現実逃避ばっかり。

ということで、授業受けてる建物のやや遠景。雨降ってたからさ、屋根ないとね。このあとコートのボタンが取れてることに気が付き、探し回った。発見。良かった。


Etchingham, C. Church Organisation・その2&論評 [学問]

結局全部読むのはやめて、6章で終了。時間がかかりすぎる。彼の仮説の上に今後の説明が続くので、その仮説について疑問を持ちながら読み続けるのは苦痛だ。

読んだ感想としては、良い点では、新たなネタを教えてくれたこと。埋葬料とか死後のかなり強制的な教会への財産の一部の譲渡とか。これもすべての人々に適応されたわけではないようなので、そのあたりで突っつくところがないか考慮中。

悪い点というか、反面教師というか、できればもらってしまいたい技術というか、逃げ上手な論理の展開をする人だ。それぞれの章には非常に簡略な結論がつくのだが、ambiguousとか、alternativeとか、「これについては以下に詳述するので、ここではこれだけ言っておけば十分」などという表現を使って、結論を述べるのである。そうするとそれぞれの結論を読み終えて得た感想は「コンテキストよね、重要なのって、やっぱ」という、そんなこと今更言われたってぇん、というしょうもない状態で終わる。

これまで研究者の間で、30年にもわたって(それなりに変化はあったが、大本の部分は変わらず)「定説」とされてきた仮説に、果敢に疑問を投げかけて新たな視点を提示する、という研究姿勢は重要だし、すばらしいとは思うが、代わりに彼が掲げる新たな「教会組織」がイマイチはっきり見えない、っていうのも時間をかけて読みにくい英文につきあってきた身としては、少々物足りないところであった。どうせならもっとでっかく出ようよ。

これは著者の博論を広げたものらしい。

で、とりあえず論評も読んだ。あ、Peritiaの何号からかメモってくるの忘れた。来週にでもメモってこよう。

論評はD. O Croinin(ファダ省略)で、まずページ数が驚き。7ページ近くあります。この文量、なんだかデジャヴ・・・。と思ったら、その通り、激しいダメ出しの嵐(以前にもかなりの量の論評で、ダメ出しの嵐を呼んだことあり。Bitelの本への論評でした。はは)。

EtchinghamのそもそものスタートとなったのはSharpeの1984の論文だが、本書にSharpeの陰がしばしば現れる、
Sharpeのその後の論文は、1984の論文での結論と違ったものだが、そのあたりをSharpeが自説を進めるのにちゅうちょしたからだと説明して、両者の矛盾点をごまかそうとしてる、
7世紀から8世紀の転換についての話なのに、タイトルの通り650年以前の史料にあたってない、あるいは敢えて提示しない、
そもそも史料として使っているのがcritical editionで、しかも訳に関してはかなりBreatnach(中世初期アイルランドの俗語法律文書の近年の権威。私と同じ分野の研究者のダブリン時代の指導教官でもある)から提供してもらってる、
自説に都合の悪い情報は一切出さない(これってまあある種の王道って気もするけど)、
果ては「くどい」「饒舌すぎ」等々。

最後にちょっとだけ褒めてあるけど、これもかなり辛辣。中世初期アイルランドの教会組織に関する現存する法律文書の研究のためには非常に有益で、研究者がほとんどいない分野での議論をより活発にするであろうことは非常に有用であろう、と。

爆弾を投げ込んだような論文である、ということですな。ある種「異端」な学者であるのだが、そういう意味で中世初期アイルランド史の世界では知らないものはいない研究者である。ちょっとうらやましいかも。博論で爆弾、っていうのは、後先考えなければしてみたい冒険ではある。

ちなみにO Croinin。他にもあるけど、概説書として。

Early Medieval Ireland 400-1200 (Longman History of Ireland)

Early Medieval Ireland 400-1200 (Longman History of Ireland)

  • 作者: Daibhi O Croinin
  • 出版社/メーカー: Longman Group United Kingdom
  • 発売日: 1995/12/13
  • メディア: ペーパーバック



Bitelのダメ出しをもらいまくった本。中世初期アイルランド史をやる人は、参考文献に載せてもいいけど、参考にしてはいけない人。断言しちゃう。

Land of Women: Tales of Sex and Gender from Early Ireland

Land of Women: Tales of Sex and Gender from Early Ireland

  • 作者: Lisa M. Bitel
  • 出版社/メーカー: Cornell Univ Pr
  • 発売日: 1996/05
  • メディア: ハードカバー


EURHISTXX [学問]

戦後に関する学会。「あなたの学校の院生などにお知らせしてね」というメッセージとともに送られてきたのお知らせしてみる。

http://www.tcd.ie/iiis/pages/events/postwarperiods.php

自分の研究とは直接関係がないので、ほとんど読んでいないけど。


Genealogies [学問]

先週に引き続いて、今日はgenealogieについての講義(担当は私の指導教官)。ちなみに辞書を引くと「系図学」と書いてあるが、ちょっと違う気がする。日本史用語に違いない。

土曜日に生活リズムを崩したおかげで、一番眠い時間に授業だ。はて。

アイルランドに残っている系図は基本的には、○○は●●の息子、●●は□□の息子、□□は■■の息子(ループ)とさかのぼるもので、ただの名前の羅列(だけってわけでもないけど、ほとんどそう)。最終的には「神話的な人物」にたどり着くので、ある地方の多くのtuath(かつてはtribeと訳されていたので、日本語では「氏族」と言われていたが、これはすでに使われていない(あくまでも学問の世界では)。lay-communityでいいのかな? 中世初期アイルランド史若手研究者(含む自分・笑)の間では、「トゥアス」とカタカナで表記し、註を入れることでとりあえず意見が一致している)は、その地方の神話的人物にたどり着く。

ということは、その神話的人物から始めれば、かなり多くのトゥアスが含まれた家系図を復元できる、ということになるのだが、それを指導教官がやっていて、今日はそれを見せてもらった。ルーズリーフ10枚ぐらい貼り付けてある、横に長ーく。ちっちゃい字で書いてある・・・。1枚書いては「足りない」と言うことで貼り付け、さらにまた貼り付け(ループ)、という作業で作り上げたものらしい。それは無理だ。

さらに、genealogiesを使う場合、実際の地図(山や川がちゃんと書き込まれてあるもの)に照らし合わせて研究することが大切、ということで、その上に透明のトゥアス名や、その関係、12世紀に出来た教区を書いたものを付け足す。これだとgenealogiesが纏められた時代+12世紀だから私の研究より少し後だ、と安心。

最後の最後に、大陸と違ってシャルトが無くて、narrativeばっかりだけど、やり方によってはgenealogiesと地図を使って、教会財産(土地)の点々とした散らばり具合を研究することも出来るのだ、と言われた時点で目が覚めた。おもしろそうではないか! でもあの系図(しかも中期アイルランド語)を使って、こんな根気のない人間にそこまで出来るのだろうか。おもしろそうだけどなぁ。

いつかやろうかな、と心に予約を入れてとりあえず終了。とりあえず、これ↓。


Corpus Genealogiarum Hibernicarum (Irish History & Genealogy)

Corpus Genealogiarum Hibernicarum (Irish History & Genealogy)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: Dublin Institute for Advanced Studies
  • 発売日: 1962/12
  • メディア: ハードカバー


トールキン 『指輪物語』セミナー [学問]

直接自分の学問に関係ないけど。

本日、History Society主催、J博士による『指輪物語』セミナーに参加。そのあとのレセプション+ワインには、行かなかった。眠くて死にそうだったので。

結論は、イギリス人の言語学者にして中世史家(Medievalist)、そしてベーオウルフ研究者により、イギリス人(Englishmen)のための新たな神話、「新・ベーオウルフ」として創作されたのが、『指輪物語』であり、単なるアレゴリー(悪対善、とくに20世紀の世界大戦やヒットラー、スターリンなど)ではない、ということであった。そしてその創作の背景に大きくあるのは、「言語学者」としての、言語創作などに対する好奇心、楽しみ、ということ。アレゴリーの否定は本人もしていたそうだが。

大変興味深かったのが、キリスト教の影響について。すなわち、世界のために過酷な重荷を背負って自分を「犠牲」にするフロド=キリスト、ガラドリエル=マリア、サウロン=サタン。フロドとサウロンに関してはいいとして、ガラドリエル=マリア説はちょっと受け入れがたい。中世初期のマリアイメージだと考えると多少はあり得なくもないが。中世後期、特にルネッサンス以降の「ピエタ」のイメージのマリアだと、ガラドリエルの凛としたイメージと合わない。彼女に「母」としてのイメージは抱けないだろう。

それから、この「新しい神話」が、英雄を主人公とせず、普通の、humble(どちらかというと自分の身分は低いってことを十分に認識しているという意味で)な人物が主人公である、ということ。『指輪物語』、特に原作を読んだ人なら分かるが、その真の主人公はサム・ギャムジーなのだ。

ちなみに、博士も聴衆もほとんどが、映画に対しての評価はあまり高くないように感じた(私も含めて)。映画のシーンが入ると、苦笑が漏れたり、博士もギャグとして入れている感じだったし。「映画の唯一いいところは云々」「どっ」と大笑い、という流れで。一緒にいた知人は、映画の切れ目が原作と違うところであったことや、サルーマン、そしてヘルム渓谷の戦い等に文句プンプンであった。

原作を読み始めるという方は、是非、最初の「ホビットについて」は飛ばして(最後まで読んでから読んだ方が、楽しい)。「待ちに待った誕生日会」から読むことをお奨め。そして、日本語の映画のタイトルがいかに変であるかを知って欲しい。『ロード・オブ・ザ・リング』では、大切な意味が抜けているのに。

文庫 新版 指輪物語 全9巻セット

文庫 新版 指輪物語 全9巻セット

  • 作者: 瀬田 貞二, 田中 明子, J.R.R. トールキン
  • 出版社/メーカー: 評論社
  • 発売日: 1997/02
  • メディア: 文庫


指輪物語 (10)  新版 追補編

指輪物語 (10) 新版 追補編

  • 作者: 瀬田 貞二, 田中 明子, J.R.R.トールキン
  • 出版社/メーカー: 評論社
  • 発売日: 2003/12
  • メディア: 文庫


↑『追補編』は、歴史好きにはたまらない。本編を読み終わってからこれを読むと、非常に楽しめる。実は私は『追補編』が一番好きだったりする。


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Etchingham, C., Church Organisation... [学問]

4章まで読み終わったところで中間の感想。
序章でこれまでの伝統的な学説(司教を中心とした教会から、叙階を受けていないか、受けていても非常に低いランクの修道院長を中心とした修道院制への移行が起こったのが、アイルランド中世のキリスト教会の発展形態)をバッサバッサと切りまくる様子は興味深かった。また、これまでの先行研究の紹介にもなっているので、非常に有意義。それ以降については、これでもかこれでもかというぐらい様々な形態の史料にいちいち依拠して、それまでの学説を細々と否定していく。が、新しい彼なりの学説がいまいち面白味に欠ける。

ここまで読んだところでは、ある単語一つとってもそれらを簡単に「こういうもんだ」と説明しきってしまうのは危険で、それぞれの単語が使われている史料の、コンテキストに沿って解釈すべきだ、という平凡な知識しか受け取れず。

最後まで読む必要はなさそうだと判断。タイトルから判断するに8章までで終了する予定。それでもあと200ページ。彼の英語のスタイルにやっと慣れてきたから、もう少しスピードアップを望むところ。

そのあとは出来れば司牧関係の二次文献を探す予定。墓地関係はあるのだろうか? これも一応頭の片隅に置いておく。

Church Organisation in Ireland A.D.650 to 1000

Church Organisation in Ireland A.D.650 to 1000

  • 作者: Colman Etchingham
  • 出版社/メーカー: Laigin Publications
  • 発売日: 1999/11
  • メディア: ハードカバー


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