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恨 早川書房 [complaint]

出版業界が大変なのは知っております。でもでもでも。

たとえば映画化もされた「デューン」シリーズ、
第1部の『砂の惑星』(全4巻)、第2部(というか第1部とその次のつなぎ)『砂漠の救世主』(全1巻)、第3部『砂丘の子供達』(全3巻)までしかなくなっている。第4部『砂漠の神皇帝』、第5部『砂漠の異端者』、第6部『砂丘の大聖堂』が無くなっている。ここまで出版されていたことは記憶にある。そしてうかつなことに自分は第4部までしか読んでいないし、「いつか買おう」と思って買わずにいたら、廃刊になっていた。

さらにアイルランドの書店では「デューン」シリーズの続刊が山積みにされている。フランク・ハーバート著、ではないが、SFの名作(大作?)が、違う作者(あるいは共著という形)によって書き続けられることは時々ある。それがいいか悪いかはともかく。一度出版したのなら、できるだけ長く、作り続けて欲しい、それが言いたいのだ。しかもシリーズの途中まではいまだに売っている、という姿勢が分からない。ここまで読んで続きが読みたい人間には、原書で読めと?

もう一つ。
これはファンタジー。「フィオナバール・タペストリー」シリーズ。
第1部『夏の樹』(全2巻)。これ自体、すでに早川では扱っていない模様。まあ、これはおそらくこの第1部自身があまり売れなかったのだろうな、とは想像付くので、「デューン」よりは罪が軽いのかもしれないが、これは第1部といっても完結しておらず、主人公達の仲間の一人の女性を、助けに行くぞ、と出発した、というところで終わってしまっている。つまり、話の端緒が開いたばかり。ここでこれ以上辞められてしまうと。
これも続編が続々と。第2部『Wandering Fire』 、第3部『The Darkest Road』と。珍しい、ウェールズネタのファンタジーなのに。これも、第1部で気に入ったものは原書で読めと?

ちなみに、これもファンタジーだが、「氷と炎の歌」シリーズ。なぜかこれは文庫ではなく単行本、という冒険をしているのだが、ちゃんとシリーズを責任もって翻訳してくれるのだろうか?
第1部の原書が出版されたのが1996年、翻訳は2002年。第2部は1998年出版で、翻訳が2004年。第3部の第1冊目は2000年。だと今年中に翻訳がでてもおかしくないな。第2冊目は2001年。そして今年の秋に第4部が出版されたが、そこまで持つのか、出版社。心配だ。しかもこれも第何部、とは言っているが、話はとぎれてなくて、いいところで「つづく」、となるシリーズもの。

文庫で普通では手に入らなくなった佐藤史生の短編集を出版してくれる、すばらしい出版社でもあるのだが、シリーズものを途中で切ったり、一度全部出したのにあっという間に売るのを辞めたり、中途半端なことをしないでくれるとうれしい。普通の小説(SFとファンタジーだけど)すら、学術書のように「一期一会」で、今買わないともう会えない、という状況になったら、どれだけお金があったも足りない。

一部で(特に出版社と著者)問題となっている新古書店が、栄えてしまう原因もこう言うところにあるのかも。出版不況は分かるが、「不況だから」を印籠のように出されても、購買者には通じないよ。出版業界全体の問題として、何とかしてくれ。いわゆる「再販制度」とかさ。消費者にとっては不利なだけで、なんのありがたみもないものを維持し続けて、「不況ですから」と言われても。


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他人の痛みを想像すること [complaint]

思考がマイナスに動くことってままある。今回の直接の原因は、友人二人からのメールといくつかのブログ。

うまく言えないんだけど。支離滅裂になるから、誰も読まないほうがいい。まさに、愚痴の掃き溜め。

まず、小泉が組閣して、やっとこさ閣僚を見てきた。安倍晋三、官房長官。写真を見たとたん、文学的な装飾ではなく本当に吐きそうになった。ポスト小泉の最右翼と言うことでしょうね。そしておそらく、これって好意的に見られているんだと思う。なぜ? 違う意味で「最右翼」ではないのですか? 

右傾化、というのをうまく言えず、アイルランド人の友人の夫(イスラエル人。アイルランドで日本語の通訳をしている)に「ライトウィング」と言ったら、「日本の場合はライトウィングと言うより、ナショナリストと言ったほうがいいんじゃないか」と言われた。ナショナリストは右翼とは違うんですね、とは思ったが、最近はよく分からない。

彼や、彼側にいる人たちは論敵のことを「共産主義者」とか「マルクス主義」とか言うからだ。いつの時代の人たちですか? と昨日までは笑っていられたんだけどね。

支離滅裂だけど、男女共同参画なんちゃら、になった女性閣僚の、あの社会的女性性を強調したドラえもんのようなドレスは何ですか? 結局お飾りになって、名前だけの張りぼてにされるんですか? 官房長官はどうも男は男らしく、女は女らしく、という方針を好まれているようですけど?

小泉や安倍や石原都知事に票が集まるのは、なぜかよく分からないが、私の両親の発言から何となく想像が付く。つまり「はっきりものを言うからいい」と言うことらしい。態度が大事であって、発言の中味はどうでもいいってことなんだ。日本人の政治に対する絶望感ってこんなに大きかったんだな、と思って、ショックを受けた。今までの腹芸ばっかりの政治にうんざりしまくったら、こうなってしまったと。

新しい歴史教科書の問題について。「自虐史観」とか、センセーショナルなことをいっているが、これを真に受けている若者が多い、と見受けられる。これって実は裏に黒幕がいるんじゃないかと。つまり、社会党が骨抜きになった出発点は、自民党にうまく乗せられて、首相を出してしまったところだと思うんだが、こうすることで左派中道(?少なくともある意味「革新党」)の党の存在意義をなくす、という長期的視点で村山首相を作り出した黒幕がいたんじゃないか、とずっと思ってるんだが、それと同じで、それよりももっと長い視点で、日本が悪かったんだ(極論だが)という歴史教育を延々とやっていくことで、戦後60年ぐらい経つと、それに反発したくなるような下地ができる、ということを考えた人がいたんじゃないかと。

ウェールズ中世史のN先生に、かつて「もう、この状況には諦めています」といったところ、私のような若い世代が戦う姿勢をもたないのは悲しい、といわれた。でも、戦うすべが私にはないのです。彼らは理論武装してきてるけれど、私にはそれに対応する武装ができないんです。私がただ一つもっていることは、「もう少し他人の痛みを想像するだけでもしてみようよ」っていうことだけなんです。そうしたら、韓国人は云々とか、南京大虐殺なんて無かったのに、中国人は嘘つきだ、とか、従軍慰安婦なんてものはなかったんだ、とか、言えないよね、とは思うんだけど。こんなの簡単に吹き飛ばされちゃうよ、先生。

反フェミニズムとして叩かれて、実は女性作家でした、とあとで分かったジェームス・ティプトリー・ジュニアの小説に『ヒューストン、ヒューストン、聞こえますか』というものがあるが、女性だけの世界故に発展もなく、活気もなく、科学進歩もないが、だからこそ戦争もない未来の地球、というのが出てくる。何となくこれを読んだ時、それのほうがいいじゃん、と思ったんだけど、つまり、何が言いたいかというと、女性の方がひょっとしたら他人の痛みを想像しようという姿勢をとることが、男性よりも少しは楽にできるのかもしれない、ということ。あるいはガツガツしないで、まったりした状態になるんじゃないか、ということ。

小泉チルドレンを見る限り、そうとも言い切れないのね。塩野七生が閣僚に入ってなくて本当に良かった。

本当に支離滅裂。


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環境 [complaint]

食後に「毎日ニュース」をネットで見ていたら、愛知万博のマスコットキャラ、モリゾーとキッコロが瀬戸市に住民票を得た、という記事を見つけてしまった。近頃、話題になったものに住民票を与える、というニュースが現れるようになったが、この子供っぽい現象は何とかならないのだろうか? 税金も払っておらず、たいていは短期間で忘れられるようなものに、少なからず税金を使う必要があるのだろうか? これでお役所は数々の不祥事やいわゆる「お役所的」職員等々に対する市民の怒りを緩和できるとでも思っているのか? 

さらに輪を掛けて怒りを感じるのは、愛知万博そのもの。多くの人が楽しんだろうし、経済効果ももちろんあったろう。しかし、「環境を大切にした万博」と銘打って、関係者、参加者は恥ずかしくなかったのだろうか。かつて、愛知万博誘致の際に、会場予定地が大鷹の希少な生息地であるため、反対を唱えたものが多かった。それを報道する機関も多数あった。それに便乗して選挙に勝ったあげく、途中で公約を覆し、一時期話題をさらった女性国会議員なんかもいた。しかし、いったん万博開催が決まると、大鷹の森に関する問題はどうなったのか、万博予定地がどのような自然を持っていたのか、報道されることはなかった。少なくとも、私は目にすることが出来なかった。

万博が始まる前、そして開催中にも、いかに環境に優しいか、中のレストランの皿がどうたら、交通機関がどうたら、と盛んに報道されていたが、見た目には広大な土地に多くの建物を建て、コンクリートで固めた、ディズニーランドとたいした違いがないもののよう。そして万博が終わった今、あの土地をどうするのか? 公園とやらにしてしまうのか? おそらくあれだけ広大な土地を会場にしたのだから、元は人の住んでいない土地、すなわち森やら林やらであったのだろう。違っていることを願いたいが。そして、失われた自然は簡単には戻らないし、戻す気もないのだろうな。

人口数が違うので、単純に比較することは出来ないが、アイルランドでは100年前にほとんど森がなくなってしまったのを憂いた一人の貴族が、森を回復させる運動を始め、少しずつ、今でも森は増えているそうだ。日本は、こういう方向に向かうつもりはないのだろうか。と、私も吠えるのが精一杯なのだけどね。吠えるのなら誰にでも出来るのだ、と自嘲して終わり。


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くそったれおやじ [complaint]

そうだった。ここは私の日常のあほみたいな愚痴を世界に発信する場であった。基本的にイヤなことはすぐに忘れる性格なので、書き忘れていた。イヤな気持ちで風呂に(排水効率が異常に悪いまま)入ったら、忘れていたはずの暗黒面が現れてしまった。

昨日は街中に出て、友人に連絡を取ったら、市立図書館でやっているconversation exchangeに来ていて、その後、前に行ったパブにいる、とのお返事。ここは、私が情報だけ聞いて、友人がダブリンに到着した日に(やや無理矢理)一緒に行ったところで、私は一回でもう行かない、と決めた、私としてはあまりおもしろくないサークルであった。まあ、日本人と、日本語・文化に興味のある人たちが集まって、お話をする、というところなんだけど。

で、そのパブに行ったら、アジア人が固まっている。中国人が2人、韓国人が2人、日本人が2人、に私が入った。何でアイルランドにいるのかなぁ、と思って聞いたら、「働いている」とか、「勉強に来てる」とかだったのに、そこにいた日本人のおやじは「アイルランド人の彼女を探しに来た」とぬかした。見た目だけで判断すれば40は超えているおやじ。超えていようがいなかろうが、間違いなくいい大人だ。その答えがいい大人の返事?さらに私も同様のことを聞かれたら、そのおやじが間髪入れずに「もちろんアイルランド人の彼氏を捜しにだよね」とほざいた。はあ?

彼としては最高のジョークのつもりなのかもしれないが、おやじギャグのレベル以下。それどころかそれってセクシャル・ハラスメントの上、日本人に対する評価を自ら下げている発言だって分かっているのか? 自分がどこの所属かはっきりした場での発言は、周りからその所属先の全体の意見ととらわれても仕方がないことは、社会的常識のはずでしょ? まして外国にいるってことは、間々「日本人って」と一般論としてとらわれることがあり得るわけだ。

他のアジア人たちがどうとったかはよく分からない。でも私にとっては非常に不快の一言に尽きる。私は顔に出やすいので、おそらく顔に出たであろう。もしその場にタイ人がいたとしたら、私はそのおやじを殴っていたかもしれない。イヤ、中国人がいたんだから殴ってもよかったはずだ。私が知っている限りでは、その二国では日本人は女を買っていることが明らかになっているからだ。そのとき私はとても空腹で、食べるのに一生懸命であったためにそこまで脳が追いつかなかった。

あんな人とは二度と会いたくないが、もしあったとしたらそのあたりの訂正はしっかりしておくべきなのかもしれない。まず何よりも私に対して失礼であったこと、そして自分の不用意な発言によって他の同胞たちにどれほど迷惑がかかるかもしれないことを。

あの場でそのように対処できなかった自分に対しても腹の立つことであった。


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